僕らのなかのドリーミンブラッド

トピック「渋谷すばる」について

 

「夢」って言葉を私はこの数日間に何度口に出したんだろう。

恥ずかしげもなく、私は「夢」という言葉を繰り返した。

普段の積み重ねていく生活で「夢」なんて言葉は出てこない。もしかしたら幼い頃は持っていたのかもしれない。だけどそれは生活のなかでだんだん埃にまみれてしまったり、あるいは忘れてしまったり、持っていてもどこか照れくさくてなかなか口に出すことはできなかったりする。

 

関ジャニ∞は、渋谷すばるは私に夢をみせてくれた。13年間も。

それは、見たこともない景色、想像もできない景色を魅せ続けてくれるという夢。そして人生を彼らの音楽で彩り続けてくれるという夢。

初めて行ったコンサート、受験勉強にはいる前のコンサート、雨にまみれたコンサート、声をからしたことも、視界に入れてくれたことを確信して歓喜に湧いたこと、辛いことを癒やすような音楽に涙したこと。

信じられないくらいの幸福をたくさんくれていた。たくさん文句も行ったけど、最後に隣の人と手をつないで、銀テープが舞う瞬間が、生きていることをもっとも実感する瞬間だった。中学生から社会人6年目。あっという間というにはあまりにも長い日々だったと思う。受験、卒業、就職、恋に浮かれたり、恋に敗れたり、大きな仕事に立ち向かう時、私の人生のBGMは結局、いつも関ジャニ∞だったと思う。

 

私たち、そしてもっと多くの人たちにもっと想像以上の景色や音楽を届け続けることが彼らの夢だと思っていた。

でももう同じ夢は見られないんだ、と思ったときに涙が溢れて止まらない。

もっと夢をみせてほしかった。彼らが夢を叶えていく姿をみていたかった。

でこぼこ道を行く車を私たちは上空からみているような気持ちだった。

 

アイドルを降りて一人の36歳の男性としての人生を考えたすばるの言葉を聞いたときはっとした。「人生をあと半分と考えた時」。そうだよね。

ちょっと見切り発車なのかもしれない。でもそれでも走らずにいられないところがあなたらしいね。と思ったのと寂しいのと虚無感と…たくさんのことを考えたけど

 

私、関ジャニ∞の初期曲を何度も何度も10代半ばで聞いて育って、その関ジャニズムが刷り込まれちゃっててね。だからなんか勝手に「お前の夢はなんやねん」って言われているように思えちゃったの。

夢や希望なんてなくたっていい、と言われたけど

誰かがみせてくれる夢じゃない。私の夢はなんだろう

そこまでして掴みたい夢がある人なんてなかなかいない。俳優になってハリウッドにいきたいとか小説家になりたいとか、そういうことじゃなくて。やりたいこと、叶えたいことはなんだろう。わたしを生きるってなんだろう。

夕方のニュースでも「人生を半分と考えたとき」をフックに、街頭のインタビューが流れていた。関ジャニ∞に興味がなかったとしてももしかしたらあの映像をみたひとの琴線に触れるかもしれないよね。「自分の夢ってなんだっけ」って。

 

すばるがその人生をもって証明してくれる音楽を楽しみにみたい。

関ジャニ∞がどんな形になっても届けてくれる音楽を信じたい。

私が私の夢を生きてこそ、その二つの音楽はより響いてくるものなんだよね。

大きな深い悲しみの奥底で、私は少しだけ震えている。めちゃくちゃかっこいい関ジャニ∞の選択に簡単にいえば影響を受けちゃってる。

それはきっとあなたたちの音楽に触れ続けてきたからなんだよ。

あなたたちをすきでよかった。こんなときまで。やっぱりそう思ってしまうよ。これからも。