愛を伝える言葉を持ちたい

4月。いろんな楽しみが蝋燭の日を消していくみたいにフッと消し飛んでしまうなかで

自担がラブレターをくれた。

ちょっと歪な字でかかれたそれは、間違えなく宝物で大切で一文字一文字を指でなぞって心の宝箱に入れたい気持ちだった。

きっとそれは私だけじゃなくて、ラブレターを受け取ったみんながそう思ったと思う。

生の言葉が文字が与えてくれる幸せや勇気や愛情から、気力?活力?そういうものをもらえた気がした。

 

言葉は不思議だな、と思う。

はてブロ書くのが趣味になってきて、こんな拙い文章でも褒めてくださったり、読んでるよ、と言ってくださったりする方々が時々いらして、私にとって何よりもうれしい言葉。本当にうれしい。ありがとうございます。

その言葉だけで頑張ろうと思えたり、前向きになれたりする。

人のはてブロを読むのもすきだ。その人ならではの愛やこだわりが詰まった文字は追っていてたのしい。

 

でも最近ね、いろんなことが抑制されて辛い中でストレスが溜まってきてるのか、ネットを通して発言するのが辛いな、こわいなと感じる時が増えた。いつも誰かがなにかに怒っているのを見かける。この界隈の話だけじゃなくて今の世の中が怒れるところを探しているみたい。私に対して怒っているわけじゃないのに、どうしてか胃が痛む。悲しくなる。

 

お会いしたこともないフォロワーさん。例えば100人フォロワーさんがいて100価値観が合う人、これはOKこれはだめ、すべてあうひとなんて、きっとほんのわずか。だから、もしそこにズレが生じていてもそこはある程度仕方ないんじゃないかなと思う。

わたしは八方美人だし流されやすいけど、もしほんとーーーに許せないこと以外はまあ、価値観合わない部分もあるよね。くらいで割り切るよ。

 

ただ、流せないこともあるし、NOということは意思表示したい、悲しいと思ったことは言いたいのもわかる。私もそうだもん。だけどそれを表すとき、不安にもなる。私は私の言葉で誰かを傷つけていたらどうしよう、嫌な思いをさせていたらどうしよう、と思って怖くなる。でも全てを我慢して、ツイッターする意味あるのかなあ、とも思って葛藤する。だからめちゃくちゃ予防線張って主張してみたり、主語なしでつぶやいてみたり深夜につぶやいてみたり、代弁者にいいねしてみたりする。自分の意思表示を模索する。どの方法も有りだと思うけど…。

 

ここからは反省というか自戒。私が改めて考えたいこと。私が心に留めておきたいこと。

 

ツイッターやブログの先には人がいる。もちろん公式へのリプライとか、誰かへのリプライはそうなんだけど、例えばツイッターにせよ、はてブロにせよ、なにかデリケートなことを言うときは慎重すぎるくらいでいいのかもしれない。すべての人の目を気にすることはないけど、でも見ている人はいる。だから誰かを傷つけるのはいやだなって。でもどの言葉が傷つけるかなんて意外とわからなかったりするから人は難しい。

 

本当ならツイッターでみたこととか、トイレの落書きくらいだと受け流して済ませるくらいがいいんだろう。いちいちしんどくなってたら身がもたない。

 

それでも、自分の発言の先には、やっぱり見てる人がいるんだよ(ってしょっちゅう虚妄とキモ発言繰り返してる私が言えることなのか、て話でもあるんだけど....まあそこが合わない人はそもそもフォローはずすかミュートしてる気がする。ごめんなさい!!!!笑)

 

私もなんかカッとなってついツイートして、そっと消してるときとかよくあって。笑
喉元過ぎれば熱さ忘れる、じゃないけど、一呼吸置いて冷静になろうと思った。
こんなときだからやさしさは忘れたくない。一回問いかけたい、自分に「今、私はこれをどうしても呟かなきゃいけないのかな?」って考えたい。投稿のボタンを押す前にもう一度読み直してみたっていい。例えば、この意見に賛同しない人はどういう人かなってちょっと想像してみたっていい。

便利なコミュニケーション手段だからこそ、その先にいる人のことを忘れちゃだめ。介しているものは機械でも、その先には生身の人間がいるのだから。

 

これは私のやり方で私のSNSの使い方だし、みんながみんな、自分の使い方をすればいいとおもう。でもわたしはもしデリケートであろうことを言うならちゃんと受け取る人がいることを考えないといけないんだなと思った。

 

すべての人に寄り添うことってきっと難しいのかもしれない。だけど自分の口から出た言葉の先にはいろんな人がいることを片隅に置くだけでも違うよね。私は気をつけたい。私の言葉を受け取る人がいるんだって心に留めたい。

 

本当にわたしは綺麗事が多いし褒められた人間じゃないけど、せめて誰かに見られるところでは、人を嫌な気持ちにさせない人間でありたい。こんなときだからこそ、と何度も言ってきたからこそこんなときだからこそ、優しくいたい。

 

ありのままでもいたいけど、本音や素といえば何でも許されるわけじゃない。これがありのまま!これが言いたいこと言いたいから!!てその先にいる人のことを考えないで何でも思ったこといっちゃうのは、それは多分ちょっと子供なんじゃないかと思う。全部ぶちまけるなら、跳ね返ってくる言葉も受け入れないといけない、それがきっと言葉に責任を持つ、ということ、なのでしょう。だからこそ私もこのブログを書いていて怖いんだよ。笑

 

いかに、言葉が勇気をくれて幸せにしてくれるか、実感したからこそ今こう思う。言葉は魔法だから毒にも薬にもなるんだよね。人を傷つけることも癒すこともできるんだよね。難しいことだけど、私の中で考えていきたいこと。