いい大人、Travis Japanを見て泣く

ツイッターのbioでたまに見かける「いい大人」という使い勝手のいいことば。一体何歳を指すんだろう、いい大人の定義ってなんだろう。そもそもなんの「いい」なのか、「いい年をした」もなんの「いい」なんだろう。そんなことは置いといて、社会人生活も長く自立して親元から離れて暮らしてるから、私は多分いい大人で、なにか不満があっても、真っ向から反抗したりしないし、たいていのことは口から出る手前で飲み込んだり、我慢したり、ばかなふりして受け流したりしてやり過ごす。それが正しいかはわからないけど、社会に擬態して常識から逸れることはしない。

 

だが、推しの前では別である。

推し=TravisJapan

 

彼らを前にすると金を湯水のように使い1ヶ月分の家賃じゃ済まない額の同じ雑誌、同じ顔のグッズを部屋に山積みしてしまい、職場の空気を読まずに義務なのでと強気で有給をぶんどって現場に行き、人様には見せられない会話を気心知れた仲間と夜な夜な繰り返しているし、彼らを傷つけるものはなんだとしても許さない。多分、国が相手でも戦える、いい大人としての箍は簡単に外れる。

 

そしてなにより、彼らのこととなると、とにかく泣く。なんでも泣く。もしデビュー決定の知らせをスクランブル交差点のど真ん中で聞いたとしても、声をあげて人目を憚らず咽び泣くと思う。これまでいろんな涙を流してきた、仕事が決まった、会えることになった、もらい泣きした喜びの涙も、もちろん悔し泣きもあった。Namida...Namida...

 

先日、ついに、こんなのあったらいいなの願望を全て詰め込まれたようなcontentsが爆誕した。もちろん興奮とまだ見ぬ最高の未来への期待で泣いた。

 


www.youtube.com


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事務所をあげての、むしろ事務所がこれまでにやったことがない領域に踏み込むような、この+81dance studio。幼少期から、むしろ母親のお腹の中にいたときから聞いてきた、慣れ親しんできた『ジャニーズクラシック』を自軍がオリジナル振り付けで新解釈して発表していくという、ジャニーズ生まれジャニーズ育ち、カウコンを見ないと年は越せない自分にとって最高のプロジェクトが発足した。ティザー第1弾のとき、全担当思ったことだろう、バラードのように眠ってる場合じゃないと。

 

その第1弾を観た時点ではおそらくジュニアチャンネルとは違うダンス企画のYouTubeかな?と予想しつつ、翌日にはまさかの単独チャンネルであることが明かされ、ティザー第2弾でえ、今『深イイ観てるんですけどぉ~💦もう、今じゃないってぇ~💦』と言いながらもニヤニヤしてたら度肝を抜かれ、あっという間にラブソー解禁、ソロアングル解禁、花唄が解禁、ソロアングル解禁…とこのスピードに振り落とされないように必死だ。この間に通常のジュニアチャンネル更新とクロレラPRもあったの、ひたすら口の中に“供給”を突っ込まれまくっているんだけど、とにかく更新された2本のダンス動画が泣けるんだ、これが。

 

なぜこんなに泣いてしまうのか。単純なテクニック的なものだけでないなにかが多分そこに確実にある。涙腺に直撃する何かが。苦労したから、頑張ってるから、大変な思いをしてきたから泣いてるんじゃない。もちろんその裏の努力を思い泣くこともある。でもそれだけじゃない。

 

もしこれが、全然知らないトラジャじゃない誰かがこの振り付けで同じ楽曲を踊ったとしてもおそらく泣かないし、そもそも絶対に同じようには表現されない。去年のサマパラの選曲や普段の雑誌での『○○のときに聞きたい先輩の楽曲は?』みたいな質問の答えをみてもわかるように7人7通りにジャニオタな彼らは多分、純度100%で楽曲を愛してるし、リスペクトしてることがわかる。彼らの表現にはピュアすぎる“好き”が溢れてる。パフォーマンスってある意味演技で嘘が交じるというか、演じるという意味もあると思うけど、楽し“そう”に、幸せ“そう”ではなく、楽しい、幸せ、なんだと彼らのダンスを見るとそう思ってしまう。そして、一人一人違っていてもそのかたちは美しく、違ってもいい、という許容、だけどいつも、心は同じ方向を見てるんだという互いへの信頼。過酷で厳しいショービジネスの世界でも、根っこにあるのはいつだって、楽しい楽しませたいという幸せな共有だから、どこまでも優しい世界が広がっている。

 

うみちゃんがwithでお話ししてた「如恵留以外、しゃべっていることがちんぷんかんぷんで、バカばっかりなんだけどダンスをすると7人でひとつの塊みたいになって、感情までひとつに集結できる。その個性をどんどん世の中のひとに知ってもらってグループが大きくなっていったら良いなと思います」その言葉が現実になってる実感がある。それにしても前半めっちゃ口悪いけど笑自分たちの表現には自信がありすぎるうみちゃん、可愛くて大好き!

 

嵐もTOKIOも当時と同じ形で楽しむことはできなくなった今、もし担当だったなら原曲に触れることに躊躇した人も多いと思う。私自身、関ジャニ∞を人生の半分以上応援してきたけどあんなにも愛した8人や7人、6人の時代のコンテンツを楽しむには結構パワーがいる。TOKIOや嵐は通ってないけど、もうこの形は見られないのかなぁ、と寂しい気持ちになったりする。そんなちょっぴりの寂しさごと抱きしめて、フルパワーで踊る彼らはまぶしくて、だけどやっぱり切ない。“永遠なんてない”と何度口にしてもこの永遠が、少しでも長く続いてほしいと願ってしまう。“永遠なんてない”ことを身を以て知った経験のあるいい大人のオタクこそ、泣けちゃうんだよね。

 

そしてその青春に共鳴してる。彼らを見てると、目指すレベルは違いすぎるにしても、部活とかサークルとかなにかに夢中になった日々のことを思い出すというか....。しめちゃんがイブ6で、この企画は同年代の振付師さんたちにお願いして作ってるという話をしてくれていたけど、みんなで一体となってなにかを作っている“青春感”が観ているこちらにも伝わってくる。

若くてがむしゃらで、いいもの作るぞ!世界を振り向かせるぞ!みたいなエネルギーが、自分も何かを必死で追いかけた経験があるからこそ、青春がとうに過ぎ去ってしまったからこそ、うらやましくて、ほほえましい。きっと青春こそ永遠ではない、二度と返らない時間の連続であることをわかっているから、今に全力を注ぐ姿は、応援したくなる。世界もきっと味方してくれると信じてしまう。

 

平凡な私は、たくさんかなわない夢もあった。自分は身の丈にあった幸せに、これもまた幸せなんだと言い聞かせてきた。でも、苦労や大変なことも乗り越えて、真摯にひたむきにひたすら前だけを見て自分の道を突き詰めていく彼らには、夢を叶えるという夢を託したくなる。自分が認められることもきっとうれしいけど、自分のだいすきな人が讃えられ、認められることがこんなにもうれしいだなんてね。トラジャを好きになって改めて知ったこと。

 

彼らのパフォーマンスがどんな世代にも刺さることは大前提だけど、年齢を重ねたから響くポイントってある。

 

現状、更新されている2曲はわちゃわちゃ感や、幸福度ナンバーワンな部分が全面に表現されてるけど、トラジャの表現にはキリがないし無限の可能性があるのを短い担歴のなかでもだいぶ思い知ってる。「花唄」はうみちゃんはいなかったけど、これからいろんなパターンで魅せていくのか。どう驚かせてくれるのか楽しみ。

 

オタクやってると大体、あ、これやったから次はこれだな~みたいなのが予想つく。例えばホールツアーやったらアリーナだな~とかそろそろ24時間テレビのパーソナリティあるんじゃね?とか…でもトラジャの仕事って本当斜め上すぎて全然予想つかない。なんかいきなり寿司のアンバサダーになったり、ヤンジャンの表紙でコスプレしたりするんだもん(笑)でもだから、チョ~楽しいし、今もこのチャンネルがどう展開されてどう運用されて、どう世界に発信していくのか、どう着信してもらうのか、期待しかない。これからも一緒になんておこがましいけど、それでも一緒に未開拓の地を突き進んでいる気持ちでいる。その先の宝物はきっと見つかるはず。これからも一緒に進んでいこうね。トラジャ担になれてよかった、トラジャ担になれて幸せ、この言葉をいいつづけられる未来を信じてる。これからも沢山の幸せな涙を流していきましょう。