幕が降りる今(虎者回顧録とそれから)

 

回顧録

 

誰とも喋らずに席に着く。もう何度も聞いた曲のインストが延々と流れ続け、曲のテンポととともに心臓の音も早まる。ロビーは着飾った女の子たちのすこしだけトーンの高い声でざわめく。すでに席に座る人は手元のスマホをいじったり、鏡をみつめ、隣の人と小声でぽつぽつお話ししたりしている。ばらばらだけど、みんなの頭の中に絶対的に存在する、もうすぐ始まる、の共有には仲間意識も感じる。誰とも一緒にいなくても、「もうすぐ始まるね」と誰かに微笑みかけたい気持ちもある。この空間さえ今は前よりもすっごく愛しい。

 

深く腰掛け、スマホをカバンの底に沈めたらもうこの時間、他のことは考えないと決める。全神経を一点に集中する。この日のために、限界までにあげたまつげが双眼鏡のグラスにぶつかってしまって邪魔だけどそんなことを気にしている暇はなかった。

 

見つめるその一点先、彼が踊っている姿が心から好きだと思う。手先足先、踊りだけじゃなくてたくさん考えて作りあげたであろう表現の全てが好き。腕をまくるとか、顔を歪めるとか、台詞の言い方とか。なんでも考えずにできちゃう天才型ではないかもしれないけど、でもすんごく頑張ったらできちゃった、みたいな努力と天才のハイブリッドみたいな。しっかりとちゃっかりが混じりあってる。きっと彼は運もいい。

 

もし失くしてしまったら、きっと水の中みたいに息苦しいかもしれない。酸素と同じで、今、自分の心臓を動かすのは彼のパフォーマンスが好きだと思う。それくらい、すっと伸びた手足が柔らかに滑らかに動くのをいつまでも見ていられるし、誰かと目があって楽しそうにはしゃぐのも、ぐぅっとみぞおちに響く低音の声も、全部が好きだな。客席を支配するというよりは、気にかけた人にスルッと入り込んでいつの間にか抜け出せなくしてしまうみたいなズルい抗えない魅力があると思う。きっとファンだけじゃなくて彼の周りにいる人もそうだから彼をかわいがりたくなっちゃうのかな。

 

クシャクシャの笑顔と嘘のない眼差し、後半ベタベタに額に張り付いてしまう前髪も、汗が鬱陶しそうに目を瞑るとこも、全部とってもとっても大事で、また宝物に会えたことが嬉しくなる。劇場を出る頃には日も傾きかけ、心にぽかぽかしたものをいだきながら帰路につく。また明日も走れるガソリンをもらえた。

 

大好きな人に、会うためのチケットを持っていたあの夏、会いたかった人がステージにいない経験をした。また会いましょう、と手を振った数年前の夏にも、その後二度と同じ形にはならない経験をした。仕事を片付けて身支度してたら中止の連絡が来たこともあるし、新幹線に乗る前に誰かが不在となることを知ったこともあったし長く生きてたらそういう想定外のことにぶつかることはある。

 

何度経験しても同じ。頭を殴られたような感覚でその場に立ち尽くしてからなんとか前向きになれそうな言葉をかき集めて自分を成り立たせる。そんな経験は二度としたくないと毎度思うけど、どうしても不意に訪れるみたい。だからこそ、今目の前にあるものの全てを目に焼き付けておかないといけないと必死になってしまう。とにかく網膜に早く録画機能をつけてほしい。そんな経験を経たからこそ1分1秒も逃したくはない。

 

この気持ちにも終わりが来るのかな。またいつかお別れの時がやって来るのかな。ぼんやりと頭によぎったりもするけど、それを考えるのは今じゃないから置いておく。

 

去年より、また強く感じた。

幕が上がって降りることの当たり前じゃなさを。

客席に余裕を持たせなくても、この先、声を出せるようになっても、幕が上がることは当たり前じゃない。それはどんなときも変わらない。

 

改めて、1日1日の奇跡を積み重ねていくことは、当たり前に見えて難しく、難しいことを当たり前にしながら走り抜けていたね。とってもとっても過酷だったね。どんなにおつかれさまと声をかけても足りないくらい。本当に本当に走りきってくれてありがとう(これをアップした時間は多分まだ終わってないけど笑)

 

初め2ヶ月半79公演と聞いた時は正直たくさんの人が会える機会があるのは良いことだけど、不安のほうが大きかった。終わりは寂しいものだけど終わることをどこかで祈っていた。トランポリンが舞台に現れるたびに、あの空間は息をもつけぬ緊張感で包まれる。京都の神社の絵馬には「無事に千秋楽まで駆け抜けられますように」と描かれたものがすずなりで、公演中なのに、みなが終わることを、どこかで祈っていた気がする。

 

ゴールテープを切っても多分次のコースに続いてゆく。それを無期限に続けていくのは簡単にできることじゃない。だから束の間の休息でも、たくさん休んでほしいし朝から晩までゲームして出前頼んで泥のように寝てほしい。それでも私たちの前にいるときは、笑顔でいてくれてありがとう。

 

「日常が戻る」というけれど、もう戻ることはないんじゃない。たぶん、2年前より何もかもが変わったし変わっていくと思う。当たり前が当たり前じゃないと強く実感した今、今目の前にあるものを大切にしたい、今しかできないからはなんだか言い訳みたいだけれど今しかできないことなのか、多分、今はわからないから、だったらこの時間を精一杯大事にしたい。だから私はまた会いに行きたい。

 

ずっと元気でいてね、踊り続けていてね、君が、君たちが元気でいてくれることが最大の贈り物だから。どれだけ大変な日常と同じ時間にみんなが頑張っていることは私の励みにもなる。世界中のどこにいても君や君たちのことを応援してる。笑顔でいてほしいし、幸せでいてほしい。前のようにツイッターで何度も書くことはなかったとしてもそれが変わらずに自分のなかにちゃんとあるよ。

今、幕が降りてきょうがおわる。その前に残しておきたい気持ちでした。